「この人の閾」 保坂和志
「ものを書く人のかたわらにはいつも猫がいた。」をテーマにした『ネコメンタリー 猫も、杓子も』で保坂和志を見た。
予想通りかなりめんどくさそうなおじさんで、とても好感を抱いた。
私はひねくれものが好きなのだ。
表題作『この人の閾』は1995年上半期の芥川賞受賞作。
そのほか3つの短編が入っている。
どれもがストーリーらしきものはほとんどない。事件もおきない。
また『東京画』を除き、小説内の時間経過はせいぜい半日、登場人物も2〜3人(回想の中も含めて)である。
では何が書かれているのかと言えば、日常生活における“会話”と“風景描写”だ。
その“会話”と“風景描写”がすこぶるおもしろい。
心理描写ももちろんあるが思考の流れを淡々と追っているだけで説明臭さはない。
読みやすい文章ではないのだが、リズムを掴むとするすると読める。
そして物語は突然終わる。
え?ここで終わるの?!と最初は面食らうのだが、収録作品全てそうなのだから意図的だ。
わざと最後をブチンと切ってしまうことでホームビデオのように、ある人たち時間の一部を鮮やかに切り取ってみせる。
なので小説を読み終えても、登場人物たちがそのまま暮らしていくだろうと想像させられるのだ。ビデオ撮影が終わった後でも我々の日常がずっと続くように。
ストーリーを重視しない小説のおもしろさも分かったことだし、次は長編も読んでみたい。