鑑定人と顔のない依頼人
2013年に公開されたミステリー映画。
なぜかNetflixさんに頻繁におすすめされるので、観てみたました。
どんでん返しがあることは知っていて最初からそういう目線で観ていたので、違和感のあるシーンは伏線だろうと思ったし、結末もほぼ予想通りでした。
が、面白くなかったということではない。
むしろ面白い。
どんでん返し情報を知らずに観たら、もっと驚いただろうし楽しめただろうなと思うのでそこは残念。
考察についてはさんざん語られているようなので(もう7年も経ってるしね…)ここでは取り上げませんが、ひとつだけ。
クレアが言った「なにがあってもあなたを愛しているわ」という言葉を私は信じたいなぁ。
夢を見すぎかもしれませんが。
主人公も同じように考えたからこそ、あのラストシーンに繋がるんですよね。
希望をもってしまったことで、そこに縛り付けられてしまうのはかなりアイロニカルではあるのですが。
結末も含めてとても良かったです。
知った上で2度、3度楽しめるし、色んな人が書いている考察を読むのも楽しい。
おすすめです。
「荷風追想」 多田蔵人編
4月30日は永井荷風の命日にあたる。
ということを、この本で知った。
そこに合わせたわけではないけれど、偶然読了日が命日に重なったので、少し感想など残しておきたい。
私は作家個人の人柄に触れることの出来るこの追想シリーズ(?)が好きで、先に出ている「漱石追想」「芥川追想」も読んでいる。
実を言えば、上記2人に比べ私が読んだ荷風の作品数はかなり少ない。
現在手元にあるのも「濹東綺譚」ただ1冊だけである。
だが荷風の人嫌い・おしゃれ・変人というイメージはしっかりと私に根づいている。
それは映画「濹東綺譚」から来ていて、そのせいで荷風の姿形を想像すると嶋田久作の方が余程似ているにも関わらず津川雅彦がちらちらと浮かんでくる。
さて、読後そのイメージがどうなったか。
結論から言えば、特に変わりなかった。
荷風はずっと荷風だったんだろう、という私の予想は翻らなかった。
外見は、洋装したかと思えば和装一辺倒になり、また洋装、最後は汚れたり綻んでいても無頓着になるなど、その一生を通して激しく変化する、
だが、中身は何も変わっていなかったのではないだろうか。
自分が定めた信念にのっとて他人の言うことに耳を貸さず、自分自身を最後まで貫く。
その辺りを三島由紀夫が己も重ねた上で“青年の木乃伊”と評したのには拍手をおくりたい。
ここに集められた59人は多彩だ。
太宰や谷崎など誰もが知る有名作家はもちろん、荷風が尊敬してやまない鴎外の子どもたち、元妻、元愛人、教え子、1回しか会ったことがない人、同じ店にはいるが遠くから眺めただけの人……。
荷風にまつわる印象もまた人それぞれで面白い。
晩年の荷風の作品や生き方(誰にも頼らず独り死ぬ)を批判する人も知れば、褒め称える人、憐れむ人など様々だ。
漱石や芥川に比べて悪口も多い。
中でも声を出して笑ったのは吉屋信子の回想だ。
澄まし顔の荷風と、怒りを滲ませながらペンを走らせている信子を想像するだけで吹き出してしまう。
とても荷風らしいエピソードで私は好きだ。
先生にしたいのは漱石、友達になりたいのは芥川、荷風は……正直思い浮かばない。
敢えて言うなら本人には近寄らず、ただ作品だけを楽しむ関係か。
今と何ら変わりないけれども。
しかし荷風ならそれを最も喜んでくれるのではないだろうか。
「つけびの村」 高橋ユキ
人の噂も七十五日。
これを短いと感じる人は少ないのではないだろうか。
さらに閉鎖されたコミュニティで逃げ場がなければ特に…。
たまにはノンフィクションでも読もうかと手にとった1冊。
内容は2013年に起きた“山口県連続放火殺人事件”を追ったものだ。
事件名ではピンとこなくても加害者宅の窓に貼られた川柳『つけびして 煙喜ぶ 田舎者』といえば、思い出す人も多いはずだ。
事件直後は、犯行予告っぽいその不気味な川柳の存在や、土地に馴染めず村人からイジメを受け恨みを募らせた上での犯行だ、などという情報がテレビニュースやネットで大々的に報じられていた。
私も当時まるで八つ墓村のもとになった“津山事件”のようだな、と思った記憶がある。(本書にも言及あり)
読んでいてゾッとしたのは、この本だって大部分が“うわさ話”で成り立っていることだ。
作者は何度も村を訪れ、村人や近隣住民、事件関係者から話を聞いていく。
その中で例の川柳はどうやらこの事件には関係がないということ、村人のために購入し燃やされたという草刈機が実はその存在自体が怪しいこと、など次々と証言を得ていく。だがこの話し手の主観が入った伝聞は“うわさ話”とどれほど違うのだろう。
終盤で村の生き字引と評される人が「10年後に話す」と口を閉ざしていた真相(?)が、状況の変化によって最終的に明かされるが、これもまたその人の見解、そして口に出して語られこの本に書かれたことで、それもまた“うわさ話”として歩きだしてしまうのではないだろうか。
“うわさ話”の中身が真実かどうかなど、この際関係がない。
結局のところ、閉鎖的コミュニティでの疎外感と威力を持つ“うわさ話”が、加害者の妄想性障害を増長させ事件に発展した、ということか。
普段小説ばかり読んでいるせいか、どことなくスッキリしない。
これはフィクションじゃないのだから、といわれればそれまでなのだが。
また文章がするすると頭に入ってこず、ところどころつっかえた。
これは単に相性の問題だろう。
都会的無関心に慣れた私には、田舎暮らしは難しそうである。
Macbook air
3/28に注文、4/20にようやく届いたMacbook air。
コロナショックのせいだと分かっていても、待っている間はかなりヤキモキしました。
スペックは以下。
・CPU core i5
・メモリ 16GB
・ストレージ 512GB
・カラー シルバーグレイ
・USキーボード
Macは以前の職場でデザイナーさんに使い方を教わった時に、そのスマートな外観と中の自由度の高さ、ディスプレイの発色の良さに感動して以来、ずっと憧れていました。
スマートフォンもiPoneだし、いつかは購入したいと考え情報を収集していたのですが、それがあだとなり
Ritanaディスプレイになったら…
airの新型が出たら…
バタフライキーボードじゃなくなったら…
と理由を色々つけては数年間購入に踏み切れず。
今回のairもproの新型が出てからでも…と思わなかったといえば嘘です。
けれど結局いつ買っても後から続々と良いスペックのものは出るし、某ブロガーさんがその待ち時間が勿体ないとおっしゃっていたこともあり、ついに購入にいたりました!
コロナのせいで在宅時間が増えるのと、そのストレスも背中を押される要因ではありましたが…。
さて肝心の初Macの感想ですが、む、む、難しい。
Windowsとはかなり勝手が違うのと、見た目重視でUSキーボードにしたため、さらに四苦八苦しております。
ただ、調べたりアプリを入れたりして、問題ひとつづつ解決していく過程が、自分色に染めてるような感覚に陥れてとても楽しい。
仕事が自宅待機になったので、今のうちに自由自在に使えるよう手懐けていきたいですね。
ご挨拶
初めまして。
今日からこのブログを始めます、紺と申します。
先日新型のMacbook airを購入したこともあり、タイピング練習もかねて色々記録していきたいと思います。
詳しいことはまた追々。
それでは、よろしくお願いいたします。