「夜と霧の隅で」 北杜夫
私の本棚には未読本が積み上がった一画がある。
休みの間に少しでも減らそうと、その中でもかなり古いものを今回手に取った。
初の北杜夫。
芥川賞を受賞した表題作を含めて5作品が収められている。
共通しているのは“死”と“狂気”だろうか。
作者が精神科医であるだけに特に“狂気”が驚くほど近くに感じられる。
自分も狂うのではないか、すぐ傍にいる身近な誰かがおかしくなるのではないか、という恐怖が目の前に迫ってくる。
例えば表題作のドイツ人精神科医ケルセンブロックがそうだ。
彼はナチスによって不治と判断され粛清される患者たちの収容所行きを回避するため、一縷の望みを託して過激な治療を施していく。
それは傍目からは蛮行にしか見えないが、元々は患者を一人でも救いたいという切実で人間的な感情に突き動かされてたことに始まっている。
彼だけは他の医師のように黙って患者を差し出すことをせずに抗った。
そのたったひとり抵抗したのが研究者肌の彼だったというのも皮肉が効いている。
積極的に患者と接し臨床に力を入れていた他の医師は何も出来なかったのだから。
彼の医者としての純粋な想いが狂気じみていく過程が、あまりにも自然で恐ろしい。
誰にでも壊れてしまう可能性はあるのだ、と。
他の短編も良い作品ばかりだった。
私は特に「岩尾根にて」が好きだ。
ところでこの本、買った記憶すらないのだが、最終ページに古本屋の名前と値段(100円)が書かれた紙が付けられていた。
遠藤周作の「海と毒薬」→「白い人・黄色い人」の流れで、大学生の頃に買ったものかもしれない。
つまり、かなり昔、ということだ。
現行のものは装丁も替わっているし、時の流れを感じてしまう。